Isle of Man TT  ~憧れの向こうにある狂気~






前回のブログへくわさんより頂いたコメントにインスパイアを受けまして。

「クレイジーという価値観に対する自分にとってのお答え」と致しまして
この動画を載せてみました。


かつて万年B級ランカーに甘んじつつ「峠の山賊」の末席を汚し、毎週末
自分なりに強烈なギワギワのスリルに身を投じていた経験を以っても。


否、なまじスピード狂としてレベルの自覚と経験を得ているが故なのか。


何度眺めてもマン島TTの動画は「怖えよ怖えよ」と独り言ちつつ夢中で
リピートを繰り返してしまう。


バイクに乗らないフツーのヒトが目にしても、常軌を逸した画像だろう。
バイク経験者なら尚のこと、「なんでこんなレースが」と絶句するだろう。


だけど、飛ばし屋として己の限界がどこにあるのか探り試みた蛮勇の
過去を持つニンゲンなら、常識の枠をひとつ超えたところで悟らされる。


「コイツらは絶対に、スピードの悪魔と血の契りを結んでやがる!」と。


そうでなければ向こう側の見えない丘をスロットル開けたままではきっと
越えられない・・・ビビッて閉じれば超高速ウォブルが襲う向こう側へは。


マン島TTには代々、世界GPの王者すらお手上げのスペシャリストが
存在するのだそうな。

そりゃあそうだろう・・・長くても一周せいぜい20kmのサーキットを延々
周回し続けるライダーとは別な質のセンスが必要とされるのだから。





しかしまあ・・・欧州カワサキも、よくこんな冒険を委ねたモンだ・・・。


一瞬200を超えるデジタルのスピードメーター、実は「Km/h」ではなく
「MP/h」、つまりキロに1.6掛けのマイル仕様(!)だったそうな。


スーパーチャージャーの、理性を切り裂く甲高い雄叫びを聴いてくれ。


180km/hの壁を越えることが出来なかった凡人のきつねメは、ただただ
H2Rを御し切ったライダーの動体視力と反射神経、超人的な身体能力と
集中力に降参するばかり・・・マシンがモンスターなら、乗り手もオバケさ。
スポンサーサイト

テーマ : バイク
ジャンル : 車・バイク

ユメノ ジドウシャ。 ~クマ師匠への私信~



※今日のブログの主題は「お手紙」なので、いつもと違う手法にて。


クマゴロウ師匠、いつもお世話様です。
昨晩は電話でのヨタ話に長々とお付き合い頂き、恐縮しております。

うっかりヤッつけちまった腰の方は、湿布と痛み止めが効いたのか
今は椅子に座ってキーボードを打てる程度に収まっております。

で・・・その「宝くじと現実の狭間のクルマ選び」という会話の中にて
きつねメが長く片想いしているスポーツカーの動画を載せておきたく
ブログを書いている次第なのです。





これが、若き日に霧雨そぼ降るホームコースをゼファー750で追った
DARE GINETTA G12。

いかに血気盛んな山賊時代とは言え、この時の追撃はトンビの矜持を
賭けての一騎打ちを狙ったものではなく。

どうしてもオーナーと話してみたかった、じっくり拝見したかったのです。

最終的にはコースにガスが掛かり、ズブ濡れの身体の凍えに負けて。

相模ナンバーを下げた我が憧れの白いG12は、雨に咳き込みむずかる
キャブをあやしながら、霧の彼方へと姿を消してしまったのですが・・・。





そしてこれも電話の中で話した「FRの方のジネッタ」、同社のG4です。

「古典的でコケティッシュな外観に騙される人も多いけど、中身は野獣。
FRPのガワを被せたスーパー・セヴン。優雅に流せるクルマじゃない。」

上記は、運良く助手席に乗せてもらったことのある知人の言葉です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


もしクマさんの二輪所有歴で例えるなら、おそらくドゥカティ900SSとか
あのLC4を積んだKTM 640DUKEに匹敵する、獰猛で辛口なクルマ。

維持にしろドライビングにしろ、マシンの側から差し向かいの勝負を
常時挑まれるようなアブないシロモノなのだろう・・・けれど。

非の打ちどころが見つからない程美しく心を鷲掴みにするスタイルと
裏腹に抱き合わせた劇薬が招くエクスタシーは、良くご存じですよね。

しかし凄い話です。こんな野蛮なクルマを、少なくとも10年前にはまだ
新車で売っていた(!)のですから。


※ジネッタ社自体はレーシングカー・コンストラクターとして現在も
操業しているらしいのだけれど、創業者がG4とG12を再生産する為に
別建てで起こしたDARE社のその後は、自分もよく分からないのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そして「こんな粗野なクルマじゃ、バイクと変わらないよ」ということで。

きつねメのロードスターをいたく気に入って下さったクマさんに向けて
もう一台プレゼン出来るドリーム・カーがあるとしたら・・・これかな。





東京R&Dにて企画設計し英国で作られているヴィーマックRDシリーズ。

今でこそGT選手権用のホモロゲ車という認識の方が強いようだけれど、
元々のコンセプトは「`60年代スポーツカーを今の技術で再現したい」
という意向から産まれたクルマ。

ちょっと間延びした感を強調するリア・フード上面以外、どこから見ても
綻びが見つからない、繊細で緻密な面構成とバランスには涙が出そう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


メカの手触りが生々しく猛々しい代わりに乗り手にも相応の経験と気概を
求められるジネッタに対して、ホンダのVTECを積むヴィーマックの方は
有機的な雰囲気を少し削ぐ代償として洗練性とフレキシビリティを持った。

宝くじの当選額次第では「ガレージを増築して両方買っちまう」という
ある意味とてもズルい選択肢もあったりするんですが・・・(笑)。

超局地戦闘機に特化した猛獣ジネッタ、美しきGT足り得るヴィーマック。
仮に1~2000万ぐらいで叶えるとしたら、その選択には相当悩みそう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


アルファT33


「今のランボやフェラーリが押し並べてソックリさんであるように
あの頃のレーシングスポーツだって似たり寄ったりじゃないか。」

そうですね・・・T33も250LMも、或いはポルシェの904/906系や
それらに範を求めたニッサンプリンスR380も、確かにシルエットは
皆よく似ているんです。

例えばレースに於けるレギュレーション、もしくは勝利への方程式が
常にそういう方向へと作用することは、たぶん誰にも否定出来ない。

ただ・・・時を経て輝きを増すことはあっても、決して陳腐化によって
この先の未来も色褪せることは無い・・・そういう本質的な美しさは
`70年前後に一度頂点に達し、完結してしまった気がするんです。


フェラーリ250LM


それは純粋にG4やG12の再生産を決断したウォークレット氏にしても
現代流のアプローチで攻めたヴィーマックのデザイナーさんにしても。

「スポーツカーに対する理想と美意識を商品化したよ」というカタチが
何よりも雄弁に物語ってくれているように感じるんですね。

どの時代でも、その時なりに「カッコいいクルマ」は存在するけれども。
しかしそれが「どの時代を跨いでも美しいクルマ」となると、極少ない。

二輪で言うなら、流行ったり廃れたりしつつも「カフェレーサー」という
カスタムが消えなかったのは、それがエバーグリーンである証し。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


WN.jpg


紺ぎつね号に派手なウィングやオーバー・フェンダーを奢って人目を
引く代わりに、一点だけエノット・モンツァを模したフューエルリッドを
装着してある理由は・・・どんなに手を伸ばしても届かない`60sの
スーパースポーツへの、とてもささやかなオマージュなんです。

「その生まれ持った素性が顔とか物腰に出ている、嘘がつけない
スッピンの美人さん」。

クルマやバイクに対して求めるものを理想の女性像にも重ねていると
ヨメを貰い損ねてしまう・・・。

そんな身の程知らずなオスの典型なのかもしれません、きつねメは。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 車・バイク

ショートブログ・ライン 「クーペが聞こえる音楽」、その1






きつねが中学生だった頃だから、30年以上も前の話になるけれど。


この曲を初めて耳にしたのは忘れもしない今の季節、黄昏が迫る
「ほっかほっか亭」の店内で弁当の受け渡しを待っている時だった。


自分の記憶が正しければ・・・それは当時文化放送系AMラジオで
流れていた「真知子と歌おう」という番組内で、発売以前に流された
「次期新曲の初お披露目」じゃなかったのかな・・・と思う。


唯一のアッパーヒット「唇よ,熱く君を語れ」を除き、思春期のきつねが
彼女に対して抱いていた印象は「大人のアンニュイな翳りをしっとりと
纏う、マイナー・ナンバーなヒト」。


それだけにビートを伴う思い切ったアップテンポのこの曲を初めて耳に
した時の衝撃は、後々長く尾を引くことになった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


二人暮らした部屋のテーブルに遺して来たものはエンゲージ・リング
ただひとつだけ。


・・・それが「2座クーペ」のイメージに重なるのだろうか・・・。



フェアレディZ




そぼ降る雨の首都高、シールド・ビームが裂き続ける深夜の闇。

あえてサイドウィンドゥを下げたまま大径で細身なステアリングを握り、
舞い込む風と目尻に滲む雫、未練を振り切るためにスロットルを踏む
長い髪の女性。


初めて耳にした夕暮れ、刹那きつねの脳裏を駆け抜けて行ったクルマは
2シーターの初代フェアレディZ・・・。

その時のイメージが鮮烈過ぎたためか、いま聴き直してもサンマルゼットの
テーマにしか思えないのね(笑)。



・・・うん、やっぱりドアが四枚とか五枚あっちゃ、この感じは出ないんだよ。

家財道具積んで家出しちゃあ絵にならない、潔さを望む覚悟が見えない。

思い出を振り切るために夜を徹して独り駆け抜ける、憂いを秘めた女。

だからこそ、イマドキな所帯くさいミニバンもエコカーも、似合わないんだ。



リフレインの手前、バンバーに吊るした黄色いマーシャルのフォグを灯し
霧雨止まぬ暁のベイエリア、鮮やかなサイド・ターンを決める相棒を一台
挙げるとしたら・・・。

ファルセットを用いずとも滑らかに歌い上げる彼女の歌声によく似合う、
伸びやかな吹け上がりの直6・L型を積んだS30Z以外に、ありえない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


フェアレディZX



ちなみに、同年発表なはずなのに全くアレンジの違うアルバムVerとなると
デジタル色が強く、コンピューター制御のインジェクションな感じでも似合う。


ちょうど当時の現行機だったV6のZ31(通称「眠たい目のゼット」)であっても
絵になるセットアップが成されていて、目を閉じて聴き比べると興味深いもの。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


なんにしても昭和50年代中期~末期のJ-POPサウンドには、失われて久しい
「ロマンとクーペのかっこいい匂い」が色濃く、そのことを愛おしく思うこの頃。


この時期は音楽でもクルマでも洋の東西を問わず、これからもその輝きが
おそらく朽ちずに残るだろう、ストーリーと情緒や雰囲気を大切にした名作が
たくさん埋もれている黄金期でもあるから。


日々の出来事報告と並行して「音楽とマシンをリンクした夢想ショートブログ」も
上げてみたいなぁ・・・と考えている、`80s育ちの中年ぎつねなんでありますよ。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 車・バイク

tag : もの思い フェアレディZ 昭和J-POP

さん・いち・いち ・・・そのキーワードに、根差す想い・・・。







この映像を初めて見たのは数ヶ月前、ある勤務明けの朝だった。

朝飯のパスタを食べながら、ふとなんとなく、たまたま点けたテレビ。


ニュースが終わった後の一瞬の静寂に気を引かれ、画面に目をやった。

気がつけば箸は止まり、カップの味噌汁は冷め、画面が滲んで見えていた。


情・念・願い・祈り・誓い・・・ただ想いを体現するために、彼は滑り、舞う。

腕を胸に抱く時、大きく背を反らせ全て解き放つ時、きっと脳裏に描くもの。

それは映画のように、心の中にはストーリーとして流れていたのだろう。


きつねは今も、「競うため」ではなかった、「点数を得るため」ではなかった
この一幕が、彼のベスト・スケーティングだったのではないか、と感じる。


この映像を見終えた時、この曲を初めて意識し、「好きだ」と思えた。


ことさら背を押すことも励ますことも、肯定も否定の言葉も、ひとつもない。

ただ淡々と情景や想いだけを連ね、希望を「花」というかたちに託す。

わたしはなにを 残しただろう・・・自らへ問い掛け締めくくる最後の一節に
嘘のない誠実さを見るのだ。


何も言わず、ただ背を抱く恋人のように、我が子を抱き上げる母のように。

「寄り添う」ということを詩に表すとしたら、こんな歌になるのだろうな、と。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


B_2016031318072304e.jpg



午前の遅い時間から思い立って、ひとつ「叶えたいこと」のために
けーたろーを東へ向けて走らせた。

「あの街」・・・いや、「街だった場所」までは、100kmあまりの道程。

北東の風の冷たさはボディに遮られ、車窓越しの里山の穏やかな
風景からは、向かう先の光景など想像もつかない。


C_20160313180724a72.jpg



最後の峠を抜けた頃、明らかに風景がベージュの霞みを増し、
幾組ものダンプのコンヴォイとすれ違う。

一時期よりもその埃は、ずいぶんと減ったように感じるけれど。
「あのエリアに入った」「着いた」という実感は、いまも変わりない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


D_20160313180726c08.jpg



台形を成す巨大な土のピラミッドは、「街だった場所」の全てに渡り
積み上げ切ったように見えた。

画像は以前、土地の特産品と「その時」の写真が展示され、地元の
語り部の声を聴くために大型バスが列を成していた一角。

役目を終えた建物は閉鎖され、工事関係車両の休憩スペースとして
供されているようだ。


E_20160313180728abf.jpg



土地を見渡せる場所を探すためターンして、丘の上を目指してみた。

昨年訪ねた際、ポツポツと点在していた鉄筋コンクリートの被災建屋も
まだ盛られていない場所に数多く積み上げられていた木材の山も、
ほぼ姿を消しているのが分かる。


F_2016031318075932d.jpg



県外の人には、あまり知られていないかもしれない事実。

「プレハブとしてはおそらく限界の大きさだろう建物の群れ」。

それが陸前高田市役所・本庁舎の姿だ、5年を経たいまも。


G_20160313180801903.jpg



不可思議な場所から誘導する「駅→」という看板に従って進めば
目に入るのはポコンと立つカマボコ型の建屋と、路面に大書された
BRTの表記。

「前後左右のどこにもレールのないJR駅」は、理由を知っていても
やはり奇妙で不自然な光景であることを否めない。

背後のホールでは、午後から地元の人々によるセレモニーがある。
ビジターとして邪魔にならぬよう、早々に海へ面した土地へ降りた。


H_20160313180801cdf.jpg



盛り土の嵩上げが進行途中だった昨年は、「残す」「残さない」の
どちらなのか、判別のつかない建物もまだ多く点在していたけれど。

今はもう誰の目にも「遺すと決めたもの」が分かる状況になった様子。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


J_201603131808049b6.jpg



きつねが、まだ「街」だった頃に訪れた最後は、震災前年の10月。

自分の前にも後ろにも、視界の端いっぱいまで連なった松の並木。

愛想が良いとはお世辞にも言えないオバチャンに「ドン」と置かれた
海鮮丼は、しかし黄昏の空腹の身に震えるほど染みる旨さだった。


I_2016031318080304f.jpg



震災遺構として以後の保存が決まった「道の駅・タビック45跡」の敷地で
スマートフォンを取り出し時間を確認すれば、13:15。


背後の松並木もハス向かいの食堂も、5年前のこの時間には「あった」。

あの秋の日と変わらずに、2時間後に起きる事態を、誰も何も知らずに。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


K_20160313180828f06.jpg



「一本松の駐車場」は既に満車に近く、また、あのモニュメントの傍までは
そこから半時間ほど歩かねばならぬことも知っているから。

「どうしてもその場所へ」という人々へスペースを譲るためにも、きつねは
もうすこし南へとけーたろーを走らせ、湾の向こうから眺めることにした。


「ここに停めていいっスよ」と勧める、自分よりひと回り若い誘導員の兄さん。


盛岡にも数年暮らしていたことがあるという彼は、盛り土の向こうを指差して
「俺んちは山手にあるから。今も親とそこに住んでいる。みんな無事で」と。


「確かにガソリンは半月来なかったし、ガス屋からも『入浴は極力控えて』って
チラシをもらったけれど・・・二ヶ月過ぎる頃には普通に暮らせていたんだよ。」

「モノも店も無かったけど、家も職場も流されなかった俺も実質、同じです。」

「俺、被災県に住んでるけど被災者じゃない。強いて言えば『震災体験者』か。」

「海際の町だからレベルが違っても、結局はオレもその『体験者側』なんスね。」


L_2016031318083069f.jpg



路肩の表示板には「この道路の津波時浸水範囲、前方2.35m・後方2.2km」。

想像してみて・・・あなたの周囲5km、根こそぎ高波に襲われ荒らされる様子を。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


時おり「大震災」も「津波」も「絆」という言葉も聞き飽きた・・・という声を耳にする。

日々メディアにより繰り返し使われ続け平たくなって、存在意義すら危うくなる言葉。
それはまるでライニングを磨耗し、ベースプレートだけが残ったブレーキパッド。

「ひとり歩き」の末に薄くなり軽くなり、伝えるべき本来の質を失った単語だろう。


「私は放送局が嫌いです。あのヒトたちは『何か』がないと、取り上げてはくれない。」


震災から3年を経た頃、ある町の展示館で出会った復興スタッフの女の子の呟く表情を
きつねは今も忘れられずにいる。


O_20160313180834728.jpg



「時々ね・・・津波で無くなる前の町で、普通に暮らしている夢を見ることがあるんです。
朝に目が覚めた後もしばらくの間、『あれ?ここは旅先?私の部屋は?町は?』って。」


亡くなってから十年以上が経つ今も、昔住んでいた家の台所で朝ご飯を作っている
元気な母の夢を見る自分には・・・彼女のその感覚が、痛いほどよく分かる。


果たして世の中の誰が、もう永遠に戻らない「かつての故郷の情景」を抱く彼女に対し
面と向かって「復興なんて言葉はもうウンザリ」と、吐き捨てる事が出来るのだろうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「あの日あの時」から四季がきっかり5回巡った午後、14;46。

「出来ることなら小さな湾の彼方でも良いから、水平線の見える場所で。」

きつねがセコく意地汚く時間ギリギリまで思い描いた場所を捜し求めた末に
天の下してよこしたジャッジは・・・しかし非常に真っ当なものだった、と思う。


N_20160313180833e0b.jpg



大船渡市の鉄道代替BRT専用道のすぐ傍らで作業着姿のオヤジさんたちに
紛れて、ようやく被災地のサイレンの響く中で黙祷を捧げることが出来た。


・・・直後からの4年・・・当初の2年は自分の休日に当たっていたにも係わらず、
「その日、その場所」へ踏み入れることが後ろめたくて躊躇われ。
その後の2年は勤務シフトの関係から、職場で祈る他に術がなかったけれど。

「本当はずっと、この日に海辺の街を訪ね、したかったこと」が、やっと叶った。


その現場のハイエースや軽トラは全て、お隣りの秋田のナンバーだった。


「奥羽山脈」という巨大な背骨の向こう、被災していない日本海サイドなのに。

理解も真心もない遠方からは「同じ東北」と十握一絡げの甚大な風評被害を
受けつつ、しかし自らの苦境には口をつぐみ熱く長く支援してくれた、秋田県。

あの当時も、そして「それから」の5年の月日も・・・同じ痛みとして分かちあった
彼らの報われぬ慈愛に対し、どうしてどのメディアも取り上げないのか、と思う。


切に分かって欲しい。テレビ・新聞・ネットの伝える情報だけが全てじゃないことを。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


R_20160313180906f10.jpg



傾く日が背後の山並みへと分刻みで「黄昏」が迫る、春分も近い16:30。
きつねの駆るけーたろーは、釜石駅を軸とした長い車列の只中にいた。

「今年・この日に海辺の街を訪ねたこと」には、ひとつも後悔は無いけれど。
但し夕暮れの時間に「ここ」を通ることだけは、避けるべきだったと思う。

この町の帰宅ラッシュと沿岸各地域のセレモニーから県央へと帰るクルマ、
さらに週末の夜、これから行われるイベントへ向かう車列、全て重なる瞬間。

「一筆書きの旅」にこだわるあまり、ルート選択への思慮が抜け落ちていた。

ジリジリジリジリと数え切れぬほどの「一速での半クラッチ前進」を繰り返し
強いられ、「欲張らず大人しく、大船渡からR107で戻れば良かったのに」と。

深い溜め息をつく傍ら・・・高架の線路を、三陸鉄道・南リアス線の車両が
単機ですれ違っていった。


S_20160313180907c7e.jpg



瞬時に車内に流れていたコミュニティFMが意識から外れて、入れ替わりに
脳内を満たす音楽といったら、岩手県民的に「アレ」以外には有り得ない。

同じ「三鉄」でも、ドラマ内では「北三陸鉄道」と社名をアレンジされ有名になった
北リアス線とは別に、数十キロの距離を挟んで「南リアス線」があることは案外と
知られていないハナシなんだけれども。

そのことを嘆いた職員の声が届いたのか、実は「南」のイベントにもサプライズで
いきなり「モノホンのあまちゃん」が現れ、県民の度肝を抜いたことがある

もちろんきつねも放映当時から今に至るまで変わらず「あまちゃん」のファンで、
「あのドラマは朝の連ドラどころかNHK全体の潮目まで変えた記念碑的作品」と
信じて止まない岩手県民のひとり。

そうさ・・・「オラたち、アツいよね」・・・(最終話のタイトルより@松尾スズキ)。


※知る人ぞ知る話、「無頼鮨」のピエール瀧さん演じるマスターが、突如里帰りした
 「ずぶん先輩」こと福士蒼汰くんの姿を追って北三陸市へ現れた際に駆っていた
 単車が、きつねの愛機と同じスポーツスター・・・気付いた瞬間涙目になった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


T_2016031318090933e.jpg



最後の余談は、さておいて。

今回の「沿岸訪問」で反省していることは、欲張ってせっかちに動き過ぎた結果
「今のその町」を見てナマの空気に触れ、「その町の人」とじっくり話す機会を自ら
逃した感が大きい・・・っていうところ。

3月11日は一年にたった一度しか来ないけれど・・・自分が望みさえすれば沿岸の
各市町村には、一年に何回だって出向けるはずだから。

次はけーたろーに自転車を積んで、「一回一都市しばり」での訪問を試みてみようと
考えていたりする今宵のきつねメなのでありますよ。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 車・バイク

tag : もの思い 被災地 3・11 大震災 津波 岩手 東北 復興

断捨離の日々、小さな出来事ともの思い。






今回のTOPは、時々ちょっと観たくなるセッションから、ひとつ。

スリリングでトンがったこのナンバーそのものも、高校生の頃から
好きだったけれど・・・ギターの名手ふたりの「競り」が、すごくイイ。

楽器はほとんど弾けないきつねでも、「あっ、分かるぞ、このノリ」。

・・・そう、刹那にウデを競るヒリヒリした感覚、身に覚えがあるんだ・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


もう10年以上前のことなので、時効としてほしいハナシだけれど。


どこで何回転でシフトしどこから何キロ減速を掛けるか?まで詰めた
ホームコース、単車の性能と腕前が共に拮抗する相手とのバトル。

扱いやすい当時の愛機・ゼファー750だと、大柄なゼファー1100や
XJR1200が相手なら、下りで追い込む「下克上」のチャンスがあった。

大型を駆る二人は、コーナー手前で軽いフェイント・モーションから
一気に寝かせる、俺と同じ「バーハン・ライディング」のスタイル。

これがね・・・相手がストレートからもうお尻をズラしてブレーキングし
進入する「レプリカ・ライディング」だと、双方のリズムが狂うけれど。

入り口からバンクを深くキメてしまうから、ラインの修正は厳しい代わり
別名「変形白バイ乗り」と評された我々同士は、互いの動きが読める。


これ・・・きれいに揃うんだ・・・全部のコーナーで同時にターンに入り、
同じバンクと同じスピードで抜け、次が左右逆なら互いのラインを
同時にクロスさせる・・・そしてまた同時に「せーの」でターン・イン・・・。

まるで同じ曲を聴いて演技するシンクロ・スイミングのように、ね。


その速度域はここでは書けないけれど、追撃して来た最速連中曰く
「お前らホモか?息が異様に合っていて、抜くの忘れて見とれてた。」

メットを脱いだ我々の方はというと・・・顔を合わせるなり爆笑しつつ
「あのペースであのダンスはヤバい!互いオトナになるべ。」と。


そう・・・傍目にはどう見えても実は双方、相当に根をツメた腕試し。
時代劇でのクライマックス、サシの殺陣を演じているようなもの。

「お主、切れるな?ならば、受けて立つ!」、てなモンだよね(笑)。


TOP動画のギター・バトルは、同好を極めたふたりの演じる「殺陣」。

でも下地には、相手の腕前への信頼・好敵手としての敬意があって
凄まじいテンションへと昇華している・・・だから、楽しそうなんだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


G_20160107224759724.jpg



さながら「あいつとララバイ」を地で行くような、かつての武勇伝は
さておいて・・・現実に戻れば、相も変わらず断捨離の日々でして。

けーたろーをすっかりライトバン扱いにし、「燃えるゴミセンター」と
「燃えないゴミセンター」の往復ドライブに、ガソリン費やしています。

そんな中で少々楽しかった出来事は、緑の矢印の先に写っている
フルバケット・シートのこと。


F2_2016010722475848d.jpg



もうずいぶん昔、既にボロかったBRIDEの中古を「お試し」として格安で
譲られ長年酷使した上で、最後はオフィス・チェアーの脚を溶接。

でもねー・・・座り心地は最高なんだけれど、身体の納まりが良過ぎて
読書の時程度しか使い道が無く、惜しみつつもリストラの対象に(笑)。


「燃えるゴミセンター」の帰り、現所有車には履けないアルミホイール
共々、そのすぐ麓にある民間のスクラップ屋さんへと持ち込みました。

すると迎えてくれた従業員のオニイチャン、リアハッチを開けるなり
「これ、超イイ!実は俺も手持ちのボロいレカロを再利用したかった!」
と目をキラキラ・・・。

廃棄直前で「再々々リユースしてくれる人」と出会えたこのチェアーは
相当な幸運の持ち主だよね
(AE86用のシートレールを使ったので、大抵のフルバケに対応可)。

ちなみにそのシート・チェアーを積み込んだ彼の愛車は、相当コアな
実戦仕様と思しきJA11ジムニー改でした・・・なるほど、納得(微笑)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


思いがけず荷を軽くしたけーたろーは、棚の代わりに使っていた昔の
スノーボードを捨てるべく「燃えないゴミセンター」へと寄り道。


I_2016010722480194e.jpg



ってかココ、最寄の国道から左折した後に1キロ弱ぐらいの専用道で
結ばれているんだけど・・・不謹慎な表現ながら、「攻め甲斐のある」
かなり面白いレイアウトになっているんだよね・・・。


きつい山道なので廃品回収トラックに配慮したのか、コーナーには
イイ感じのカントが施されていて、アップダウンもリズミカル。

長いストレートはないから、クルマなら1.6リッター級で2~3速メイン、
二輪なら、250のロードスポーツかモタードで良いタイムが出そう?


J_20160107224803ddd.jpg



市の管轄で、なおかつ行く先が廃物処理センターで行き止まりなので
他の目的で利用し通過する一般車もいないし、土日祝日は休業・・・。


もしこれがヨーロッパだったら、春~秋には「草ヒルクライム大会」に
活用しているだろうなぁ、きっと。

日本では(最近は箱根ターンパイクを借り切っての派手な動画で
少しずつ知られつつあるものの)数例しかない競技なんだけど。

これ、要は「公道を閉鎖して行う、峠のタイムアタック」のこと。






世界に冠たる自動車・二輪車生産メーカーを有する国・・・なのに、
日本は異様なぐらい「走っての魅力を訴えるモータースポーツ」を
蚊帳の外のものにしたがる空気が根強い。

よほど自国のドライバーのモラルを信用していないんだろうな、と
乗り物不良中年のきつねには皮肉を言う資格もないけれど。

でもね・・・既に「便利か・そうでないか」「必要か・不要か」でしか
ユーザーに判断されない「魅力の薄い高額商品」に成り下がって。

しかもこの先は、もう少子化でニーズの先細りは必至な訳でしょ?

だったら「要るか・要らないか」ではなく「欲しいか・欲しくないか」の
まな板に乗せてもらえるような魅力を、これからはアピールしないと
クルマもバイクもダメになるんじゃないの・・・?


地元のお祭りイベントみたいな「草ヒルクライム」、山だらけの国
ニッポンにはかなり向いていると思うんだけれど・・・なぁ。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 車・バイク

tag : もの思い ヒルクライム フルバケ・チェア

プロフィール

狐ヶ丘 紺之介

Author:狐ヶ丘 紺之介
1970年生まれの乗り物好きな中年ホンドギツネ(オス)。
クルマもバイクも好きなのに、精神構造が基本アナログ。
四輪はM/T派、二輪はキャブ派という典型的な昭和男。

ニンゲンに化けたは良いものの21世紀の流れに乗れず、
世間と森の境目辺りでひっそりブログを綴っております。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR